2011年6月11日土曜日

映画 『まほろ駅多田便利軒』



三浦しをんさんの小説
「まほろ駅前 多田便利軒」を映画化したこの作品は、
三浦さんが実際に住んでいた東京の町田市がモデル。
東京の郊外 「まほろ市」に住んで、
便利屋を営んでいる多田啓介が主人公です。




ある日、多田啓介(瑛太)が中学の同級生 
行天春彦(松田龍平)にバッタリ出会うのですが、
中学時代は、一言も口を聞かなかった行天が
よくしゃべるやつに変わっていた事に多田は驚きつつも、
三十路でバツイチという共通点もあって
性格が全く違う二人はいつのまにか共同生活を始めていくんです。

この映画は二人がともに暮らした1年間が描かれています。

多田は、過去に起ったある出来事で心に傷を負って
なぜ、多くの人と関わらなければいけない
便利屋をやっているのか分からないぐらい
なるべく人と関わらないように生きていた。

行天と出会った時も、なるべく関わらないようにしていた多田が
行天と一緒に仕事をするようになって
依頼者の子どもを家から塾まで送ったり、
お客さんからから頼まれた事を便利屋として二人でこなしていくうちに、
二人でいる楽しさ、心地よさを感じたんじゃないかな。

脳天気でな~んにも考えてないようにみえる行天も
自分と同じように心に傷を負っている事を知った多田は、
思い悩んでいるのは自分だけじゃない
みんないろいろあって生きてるんだって、
今までと違う感情をもつようになった。

多田は、何とか明日に向かって歩けるように、走れるように、
誰かに必要とされる事、誰かの希望になる事を
彼なりに探していたんだと思います。

フランダースの犬の最終回のDVDを観て泣いてしまったり、
ストーカーに付きまとわれている女性を命がけで守ったりetc・・・
そんな行天を間近でみて、多田は、
彼が今一番やらなければいけない事を見つけられたのでは?

バツイチ男2人の何気ない日常が描かれる中で彼らの会話には、
人の本音の部分としてすごく共感するところがありました。

この映画を観て何か考えさせられるとか学ぶとか難しいことではなく、
忘れられない過去とちゃんと向き合う事で前に進める事、
希望がもてる事を証明してくれています。

多田と行天の漫才のような掛け合いや
ヒトクセもフタクセもあるけど
人間味あふれる便利屋のお客さん達の存在は
気分をほっこりさせてくれます。

彼らの存在は、世の中、みんないろいろ抱えて生きてるんだぞ。
お前もがんばれよって言ってくれているようにも思えました。

この映画には大森たつし監督のお父さま 
麿 赤兒さんが便利屋の常連客として、
そして弟さんの大森南朋さんは、乳飲み子をおんぶしながら
お弁当屋を切り盛りしている役で登場してます。

これがまた面白いんだ~。

あと、何故かコロンビア人の娼婦に扮している
鈴木杏ちゃんの姿にも驚かされました。


そして、


松田龍平さんと瑛太さんから飛び出した○○○!!

松田龍平さんのルーツを知っている方にはツボです。

試写会では、そのシーンでみんな大爆笑。
気になった方は観てみて下さい。

2011年6月3日金曜日

映画 『八日目の蝉』



GWに小説家 角田光代さんの小説を
映画化した作品「八日目の蝉」を観てきました。

この映画の存在を知ってから
ずっと気になっていた作品です。


妻がいる男性を愛し、いつかその男性と結ばれると信じていた女性 希和子が
彼の子どもを身ごもり中絶し、もう子どもが産めない体になってしまいます。
そんな時、彼と彼の奥さんとの間に子どもが生まれた事を知り
その子どもを一目みたいと彼らの家に出かけた所、泣き叫ぶ子どもをみて
「自分がこの子を守りたい」
と思って連れ去ってしまうんです。

希和子が子どもを誘拐した後、
身を隠しながら子どもと一緒に過ごした4年間と
希和子に誘拐された子ども恵理菜が
大学生になった現在が交差するように描かれた作品です。

私は、結婚も、子どもを産んだ経験も愛人になった事もないから、
この映画の登場人物の気持ちはわからないけど、
映画を観終わった後、なぜか、希和子が愛した男性の奥さん、
つまり恵理菜の実の母親の事ばかり考えてしまった。

映画を観ている間は、彼女の行動や態度にことごとく腹がたったけど、
彼女の事がとても気になったんです。

なんでだろう?

私がもし、彼女と同じ立場だったら、
彼女みたいに自分の子どもの事も上手く愛せずに、だんなともぎくしゃくして・・・。

こんな風に何もかも上手くいかないのは、すべてあの女のせいだと
夫の愛人だった希和子をものすごく憎んで生きていたかも。

だって、子どもを授かってから、
その子がこの世に誕生するのを毎日楽しみにしながら
お腹の中の子どもと毎日共に生活してきて、
やっと会えたと思ったら引き裂かれ、
4年後にようやく会えた最愛のわが子は
他の女性を母親だと思って心底愛している。

しかもその女性は自分の最愛の夫を奪おうとしていた愛人。

やりきれない。

でも、このシチュエーションの中で一番辛いのは、
4歳までいつもそばで守ってくれていた
本当のお母さんだと思っていた人と引き離され、
知らない(記憶にない)人達をお父さんお母さんとして
生活していかなければいけなくなった恵理菜。


なんで私は、この映画を恵理菜の母親の立場になって観ていたんだろう?


映画を観ている時、観終わった直後、
感想を仕事仲間や先輩に話をするまで
私は、恵理菜の立場でみていたつもりでいた。

でも、口から出てくる事は、恵理菜の母親の事ばかり。

どうしてなのかわからないけど、
自分も知らなかった自分が認識できたのは確か。

あなたは、この映画を観て、どんなことを思うのでしょうか?